BTSをみて、ふと思い出したこと。


みなさん こんにちは

今日は、先日、テレビでBTSをみていて、ふと思い出したことを書いてみたいと思います。


これ、「昭和」ではなく「平成」の話です。

今では明らかにハラスメントになりますが、

むかし(といっても平成)、特に、会社の「飲み会」で、多くの女性は、よくおじさん達から「女性らしさ(服装や容姿を含む)」「愛嬌」に関する「世論を代表したかのような個人的なご意見」や、「彼氏の有無」「結婚の予定」に関する不必要に詳細な御下問を受けていました。


そして、それを、彼らの機嫌を損ねることなく捌くのが「大人の対応」でした。

何を言われようとその場の空気を悪くしない、なんでしたら、みんなにひと笑いでも提供できるのが「上手な対応」。「女性としての評価」ですらあったのです。(逆の場合は、評価が下がる。)



男は外見じゃない。中身だ。

一方で、彼ら(おじさん達)はよく「男は外見じゃない。中身だ。」とも言っていました。


例えば、彼らが外見的に上中下の「下」であっても、男性は「外見じゃなく中身」なので、「安全な立場から」すべての女性を外見で値踏みし意見や評価を述べる権利がある、という「仕組み」になっているようでした。(繰り返しますが、昭和ではなく平成の話です。)


私は、「不思議な仕組みだな。」といつも思っていました。そして、


「あなた方のご意見を尊重しなければならないほど、あなた方は私にとって重要な人ではない。私が尊重する人たちは、そういう謎理論を振りかざしたりはしない。」


と思っていたので、「この人達は、どういう立ち位置のつもりなんだろう?」とも思っていました。ですので、ついついめんどくさいという表情を素直に表現しては、


「そういうところが(→彼らが語る「女性像」から外れているとことが「問題」)」


とよく言われていました。(笑)



先日、TVでBTSをみかけました。

なぜ、こんな話を思い出したのか?

それは、テレビでBTSを見たことがきっかけでした。


誰もが羨む容姿・才能に恵まれた人達が、子どもの頃から(今でも)信じられないような努力を重ねて第一線に立っています。

そしてすでに恵まれた容姿をさらに磨き上げるかの如く「メイク」を施しています。


それはあえて「自然さ」を生かした素顔に近づけるものではなく、「さらに完璧な造形を追及し、高みを目指す」ものであるかのように見受けられます。(個人的な感想です。)


そして、彼らを支持する世代は、もちろんそれを当然のものとして受け入れています。都内で地下鉄に乗っていても、メイクをしている若い男性を「普通に」見かけます。

彼らにとって「男性のメイク」や「(男性が)美を追求すること」は当然のことであり、もはや自分の美醜を棚に上げて女性をディスカウントしたりランキングしたりする時代は、少しずつ「古きもの」として遠ざかりつつあるのではないでしょうか?


今後きっと、前述のおじさん達の自身の外見を棚にあげた「男は外見じゃない。中身だ。」という言葉が「なじまない時代」であることが明確になっていくでしょう。

(そもそも「中身」がまともであれば、前述のような言葉が出てくるわけがないのですが。)


BTSを見て「あの時のおじさん達の言葉が、綺麗さっぱり灰塵に帰す時代が来たのだなぁ。」と感慨深く思いました。