先日、ある場で「あなたの「失敗」について話してください。」と言われました。
2021/09/17
こんにちは!
先日、ある場で「あなたの「失敗」について話してください。」と言われました。
(この質問は、よく、採用面接の際でも行われますね。)
でも、私、この質問には答えられないのです。
なぜなら「失敗ってなに?」と思っているから。
そこで、次のように答えました。
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私の中には「失敗」という概念がないので、ご質問には答えられません。
なぜ、その概念がないのかというと、「すべての出来事は、すべて個人にとっての貴重な体験・経験・過程であり、その人の人生にとって不可欠な1つのピースになる」と思っているからです。
もちろん、「みなさんが」失敗だと定義づけるなにかしらの出来事が、誰かに迷惑をかけたり、損害を発生させたりしてしまった場合は、それをきちんと回復させることは「当然」です。それは、私に失敗の概念がないこととは別問題ですし、この世界で生きる限りは、この世界のルールに従うべきです。
また、仮に「失敗」したとしても、それを失敗のままにしておくのでしょうか?
リカバリすることなく「失敗」のままに捨て置くにしろ、必死でリカバリして「失敗」の状態をなかったものにするにしろ、それを「失敗」と名付けるか否かは「時間軸のどの瞬間で切り取るか?」でしかないですよね?
以上のことから、個人的な体験の中で「失敗」を語る意味を感じません。
(※追記:歴史を振り返ることは大切だと思っています。)
正直なところ、採用面接で「失敗談」を聞く趣旨も理解できません。短時間でネタにできる程度の単なる「エピソードトーク」を面接の何に生かすのでしょう?生かすことができている面接官は、どの程度いるのでしょうか?
それに、(私以外の)他の方が自分の人生を「失敗」と思うのは構いませんが、他人が他人の人生を「失敗」と思うのは「何様か?」と思います。耳を貸す必要がありますか?
ということで、ごめんなさい。お話しできることがありません。(にっこり)
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失敗を話して欲しかった方だけが困って(抵抗して)いらっしゃいました。(苦笑)
一方で、むっちゃ食いついてきた方もいらっしゃいました。(笑)
短い人生を「失敗」に割く意味、あります?(笑)